いけちゃん


釣り浜でアイッパラを釣りあげた。血だらけのパンツを思い出す。
いけちゃん
3月9日 おがさわら丸が出航し、港を離れて行く船に手を振っていると、隣にいた真奈美ちゃんが突然
「話があるの 今、大丈夫?」と声をかけられた。おがさわら丸が遠く離れ、手を振るのをやめて「どうしたの?」
と答えると、「いけちゃんが行方不明になった」と真奈美ちゃんは答えた。仕事がきつくて那智勝浦からいなくなったのかと思い。
「えっ、どこで?」と聞き返す。何度かやりとりをして、イケちゃんの乗っていた大原丸の移動中にいなくなったと言うことなのだが、  
とにかくその意味が理解できずに何度も同じ質問を繰り返して、ようやく話しの内容が解って来た。
8日の12時にイケちゃんが貞満さんとワッチを変わって、9日の朝6時に再びイケちゃんと変わるはずだったのが,イケちゃんはちっとも起きてこない。
不思議に思った貞満さんが寝室に見に行くが、イケちゃんはいない。大原丸の中をくまなくさがすが、イケちゃんの影も形もない。
海上保安署にその旨を伝え、捜索が開始されていると言う。場所は北緯23度東経135度 父島の南西900キロの海の上、私にはなにもできない。
見つかるのを祈るだけだった。
 いけちゃんと初めて出会ったのは、2007年8月12日、今から7年前のことだった。プーランのゲストを迎えに行くと、おがさわら丸からカップルが一組降りてくる。
「親子には見えないけれどかなり、男の人は若いなー」と思い。どうゆう関係か聞くのをためらっていたが、思い切って聞いてみると、やっぱり親子だった。
いけちゃんはその時中学2年生で、ちょっと見た感じでは大学生くらいにみえる老けた中学生だったのを覚えている。
その夏のツアーで一緒にカヤックを漕いだ。いけちゃんはイメージとは違い、静かでシャイな中学生だった。
私の記憶の中では彼の存在はまだまだ小さいものだった。そして翌年の春、中学の卒業旅行ということでイケちゃんは一人でプーランにやって来た。
一人旅の人が多いプーランにおいても中学生の一人旅はめずらしく、小さい存在だった彼の記憶が私の中で、どんどん成長していく。
2011年春、大学受験に失敗した、イケちゃんはこれからどうしようか迷っていたらしい。そしてお母さんからウーフ(持続可能な生活に取り組んでいる人たちがホストとなり
6時間の労働と宿泊と食事を交換する世界的な仕組み)のことを聞かされ自分なりに調べると中学の時に行ったプーランヴィレッジを発見する。
だらだらと浪人生活をおくるより思い切って小笠原へ行きプーランヴィレッジでウーフ生活をしようとイケちゃんは決心する。
2011年3月高校を卒業し、震災があってしばらくしてイケちゃんはプーランにやって来た。
それからのイケちゃんと清水ファミリーとの関係は、どんどん深くなっていく。
一緒に畑を作り、一緒に家を作り、鶏小屋を作り、一緒に食事を作り、めしを食べる。
一緒にカヤックに乗り一緒に釣りをし波乗りへ行く、一緒に山へ行き、海で泳ぎ、旅をして、一緒に酒を飲む、
子供たちはイケちゃんを兄貴と慕い。毎日毎日遊んでくれた。
彼の両親は彼が生まれるとすぐに離婚をし、母親が育ててくれたそうだ。だからイケちゃんはお父さんに一度も会った記憶がないそうだ。
そんなこともあって、私に父親というものを感じてくれているのを感じ、ちょっと照れくさくもあったが、うれしくもあった。
毎日米をたいてくれた。火の前は憩いのひと時だった。波乗りに石浦へ行ったね。海美ちゃんはいけちゃんが大好きだった。何回も一緒に餅つきをやったなー!
餅つきは何度もやったね!
開墾もずいぶんやったね。
開墾もずいぶんやった。
2011年7月4日
いけちゃんとプーランのゲストを連れ島の東へカヤックで行くことになった。
いけちゃんと私は釣り道具を持って出発

イケちゃんは石浦と言うビーチでチギと呼ばれるハタの仲間を釣ってうれしそうだった。
小笠原で始めた釣ったチギ
そして帰り、カヤックからルアーを引っ張りながら、漕いで行った。兄島瀬戸に入る前にふと後ろを振り向くとイケちゃんのカヤックが100メートルくらい後ろで、ひっくり返っている。あわてて戻ってみると、いけちゃんは海の中で竿をもったまま浮きながら魚を釣っている。かなり大きな魚らしく自分が浮きとなって魚に惹かれるといけちゃんが少し沈んでいる。そしてみごと釣りあげた。あまりにその光景が記憶に焼き付いていて魚の種類を忘れてしまったが、とにかく釣り吉としての根性だけは、かなりすごいものを持っていると確信した。
2011年12月31日
この日の前までかなり海が悪く、お正月ツアーのゲストのために魚をゲットしに行きたかったが、釣りに行ける日がないまま、ゲストと
年末そしてなんとイケちゃんのお母さんもやってきてしまった。そんな中、ゲストとイケちゃんを連れ宮の浜からカヤックツアーへ出発した。当初、兄島へ行く予定だったが、風が強く海もしけて、急きょ父島側の釣り浜へ向かうことになった。釣り浜につくと、イケちゃんは、釣りをしたいと言って、すぐに釣り浜の左の端にある岬へ歩いて行った。釣り浜と言う名前はあるけれど釣りをする人が多すぎてその周りには、根魚はほとんどみることがなくなっていた。たまに回遊魚が釣れるとうわさは聞いていたけれど、一度も私は、そこで魚を釣った事もなく釣っている人を見たこともなかったので、ほとんど期待することもなく見送った。そしてゲストのみんなは、シュノーケリングをしたり薪を集め昼飯の用意をしたりしていた。
すると、岬にいるイケちゃんの様子がおかしい、なにか釣れた感じでこっちに歩いてくる。近づくにつれて、大きな魚を持っていることが解り、イケちゃんのにこにこ顔がはっきり見えてきた。
魚は8キロ位のカツオの仲間でアイッパラと呼ばれる、小笠原でもっとも美味しい魚の一つだった。イケちゃんは釣れるとすぐに生き締めをしたらしくTシャツやトランクスが血だらけだった。そして彼が今まで釣った魚のなかでもっとも大きい魚だった。お正月にイケちゃんから頂いたアイッパラの刺身をたらふく食べた。イケちゃんにとっても最高の親孝行ができたはずだ。
そんなことがあり、イケちゃんは魚釣りにはまりまくり、将来の夢は漁師になりたいと、強く思うようになっていった。

イケちゃんがプーランに来て1年が過ぎようとしていた。内地に帰りとりあえずバイトでもしてお金を貯めて旅に行きたいと言っていた、イケちゃんに、
「漁師になりたいなら、内の船の乗組員にならないか」と言うオファーが隣に住んでいるスーパー漁師の貞満さんからあった。
サーフィンの仲間でもある、この貞満さんと言う人はすごい漁師で、月に2回那智勝浦と小笠原を行き来し、太平洋を縦横無尽に移動しながらマグロを釣っている漁師だった。
そしてイケちゃんは貞満さんの船に乗ることに決まった。ところがイケちゃんの最初の航海でなんと貞満さんの船が事故に会い。船を失うことになる。幸い二人ともけが一つなく戻って来た。
そんな中漁師を一時諦めかけていた貞満さんではあったが、もし、もう一度船を持って漁師をやるなら、貞満さんの船に乗りたいと言うイケちゃんの言葉に励まされ、貞満さんは事故から1年以内に再び漁船を手に入れ漁師を再開することとなった。そしてイケちゃんの漁師生活が始まった。
最初の航海で、小笠原へやって来たイケちゃんはかなりげっそりして生気がなかった。
私も漁師の乗子をやった時は船酔いが本当につらかったのを思い出す。イケちゃんの辛さは、良く分かる。
「とにかく3ケ月はがんばりな、そうすれば必ず船酔いはなれるよ。」と励ましていた。
短い休みだったが一緒に波乗りへ行く。まだまだへたくそだったがなんとかテイクオフができるようになってきた。那智勝浦でもサーフショップの人にかわいがられボードをもらったりしていた。
そしてかなり波乗りにハマって来ていた。
そして、再び荒波の中へ、出航していく。それから何度か父島へ上陸をしてプーラン村へ魚を持ってやってきた。
上陸する度に顔つきがどんどん変わりいい顔になって来ていた。
私は帰って来る度に大きく成長しているイケちゃんを見るのが、うれしくて、うれしくて、しょうがなかった。
そして一緒に波乗りをしながら漁の様子を聞くのが私の楽しみの一つになっていた
2014年正月
久々に帰って来たイケちゃんは、カツオを自分でさばいてプーランに持ってきてくれた。
本当に美味しいカツオだった。そして、生き生きとした顔でプーランの正月を過ごして行った。

私はイケちゃんが船頭になる時のことを考え、イケちゃんと世界の海へ釣りに行ったり、波乗りに行く自分を想像していた。
そして今度は息子の万象がイケちゃんの弟子になるのかなと考えたりもした。
私たち家族にとってイケちゃんの未来は一緒にあった。わたしにとってイケちゃんは息子であり最高の友達だった。

捜索から3日がたっていた。何度も何度も祈った。貞満さんの船舶電話にかけると、貞満さんから見つからないことを聞く、可能なかぎり探し続けるといっていたが、燃料がいよいよなくなりそうだと言っていた。海の上でなにかを見つけることのむずかしさはシーカヤッカーとして理解している。それでも奇跡を念じていた。
 
事故から一カ月が過ぎようとしている。わたしの周りで坦々と日常生活が過ぎて行く。そして私の想像の中でイケちゃんが何度も私の前に突然現れる。
波乗りをしている時、釣りをしている時、私はイケちゃんの魂と話をする。「おれのからだを通して味わいな!このすばらしい楽園を」と
それでも一人でいる時、突然涙が出る。まだやっぱりどこかで生きているのではないかと思ったりもする。奇跡が起きるとすれば台湾の漁船に助けられ違法操業のため台湾に連れて行かれたとか、
オーストラリア航路の船に見つけられオーストラリアに行っているとか、北西の方向にすごい流れがあったというので沖大東島に流れ着いているとか、宇宙人に連れて行かれたとか、
どちらにしてもイケちゃんは私の頭の中にいつもいる。
2014年4月3日
 貞満さんと真奈美ちゃんが那智勝浦から帰って来た。少しやつれた貞満さんといろいろ話をする。「良ちゃん、もうノリコを乗せて漁を続けられる自信がないから,やるとしたら一人でやるよ」
とか「おれが漁を続けたのは、教えることのできるやつがいたからなんだ。やつがいなくなったら俺が漁をする意味がない、だからやめようかとも考えている。」貞満さんから漁師をとったら、どうしようもない人間になっちゃうと思う、もしイケちゃんが生きていても死んでいても、貞満さんがもしカッコ悪い男になっていたら、イケちゃんは、悲しく思うだろう。と貞満さんに伝えた。そして自分にもそのことを言い聞かせてきた。
私より若くして死んでいった友達のことを考える時がある。イケちゃんも含めて彼らはみんな私より人間ができていて大人だった。そして一日一日を大切に生きていたように思う。すべての生き物は必ず死を経験する。100年生きたから幸せで1年は不幸だとは言えない気がしている。イケちゃんのこの3年間はイケちゃんの人生でもっとも輝いていた時代だと思う。その時間を共有できた私たちは本当に幸せだった。
2014年4月8日
イケちゃんのお母さん 早苗ちゃんから「次の船でおばあちゃんと一緒に父島へ行きます。」と電話があった。早苗ちゃんがしっかりしすぎて、その心の奥を考えると、また涙がでてしまう。
最近やたら涙もろい私だが、毎日この世界を最高に感じようとしている、そして明日死んでもいいように生きようと思っている。
イケちゃんきみのことは、一生忘れない。           
I love you forever.
・・・・・・・・Live like Ike.・・・・・・・・・ See you another world.
小笠原<br />
で始めた釣ったチギ
神輿もかついだね。
アウトリガーカヌーレースで優勝したんだよね!
アウトリガーカヌーレースで優勝もしたね!
魚が釣れればいつもにこにこだった。
魚を釣っていればいつも幸せだった。
自分で自分の道を見つけた。
自分で自分の道を見つけ歩き始めた。
ひょうきんな所もあった。
ひょうきんなところもあったなー!

  
  

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